植物標本の意義と重要性

 植物標本の収集・作成は主に分類学的研究や地域研究に携わる研究者や採集家によって行われています。標本収集の目的とその意義は、下記のように様々です。

・命名の証拠標本として

 学名を発表する際には、標本の観察に基づく植物の形態的特徴を記述した記載文を書き、記載に用いた標本の中から、その基準となるタイプ標本を指定することが国際植物命名規約により義務づけられています。つまり、タイプ標本は分類群の学名命名の基準となった標本であり、このタイプ標本と記載文をもとに同定が行われることになります。分類群の命名や形態的特徴に関する疑問が生じたとき、また他の分類群との比較研究の際にタイプ標本が参照されることになり、最も重要な標本として標本館に永久保存することになっています。

・研究の証拠資料として

 生物の名前は、実はあまり当てにならないものです。研究者の見解の違いや研究の進展によって学名や分類基準が変更されることがあるため、図鑑・文献の間で食い違いが生じます。しかも、分類が困難な生物群の場合は、同定ミスの恐れもあります。そのため、論文や報告書などにおいて、研究対象とした生物の名称を記述するだけでは、証拠として不十分です。例えば、これまでに各地で出版されてきた地方植物目録などは膨大な数になりますが、既存の標本を参照しなかったり、証拠標本を残していないものが多く、このような植物目録は学術情報として有効に利用されることがほとんどありません。証拠標本が標本館に残されていれば、後に内容に疑問が生じた場合でも、引用された標本を参照することにより検証することが可能となります。最近では、研究成果を論文などで発表する際、材料として用いた植物の証拠標本を公共の標本館に保存することは常識となりつつあり、論文受理の条件としている学術雑誌も多くなっています。

・生物多様性・生物地理・生態学的研究のための資料として

 ある植物を研究する場合、フィールドで直接観察・調査する際の補助的な情報を、標本から入手することができます。標本館には様々な地域から採集された多数の標本が所蔵されていることから、これらの標本を同時に比較し、外部形態の変異などを詳細に観察したり、分布域を調べることも可能です。標本に花や実がついていれば、その植物の開花期や結実期のような生態的特性に関する情報も得られるでしょう。また、条件さえ良ければ、標本からDNAを抽出して解析することもできます。

・歴史的証拠・資料として

 人為的影響により自然環境は大きく変貌し、各地で数多くの植物が消滅しつつあります。そして人間が植栽した植物や外来種で植生が置き換えられてしまった現在、かってどのような植物があったのか、どのような自然環境だったのかを知ることは容易ではありません。標本館には19世紀から20世紀初頭にかけて採集された標本も数多く所蔵され、これらの標本は当時の植物相や自然環境を推定するための貴重な参考資料となるでしょう。逆に外来種が日本に移入してきた時期も推定できるかも知れません。
 また、古い標本には、日本の近代植物学の黎明期における海外の研究者との文化交流の証が様々な形で標本に付随して残されていることがあり、それを調べることで日本における植物学の歴史的推移を科学史的視点から探るという試みもなされています。

・同定のための参考資料として

 植物の同定を行う際には、一般には図鑑などの文献資料を用いますが、標本と比較することでより正確に同定することができます。特に文献情報が不十分な国外の植物を同定するときに、非常に役立つものです。

 

参考資料

大橋広好訳( 1994)「国際植物命名規約(東京規約)」 津村研究所