岡研介とともに鳴滝塾の塾頭として、多くの同門の人々を指導した美馬順三(1795-1825)作成の標本。9箱目の“Hoteia”と属名が書かれた二つ折りのカバー紙(和紙)中に挟まっていました。中に、“Spiraea Aruncus 2 var./in volcano Wunzen/ M. Zunz_”と記されたラベルが添えられています。
シーボルトはこの標本をユキノシタ科のチダケサシ属(Hoteia、但し現在はAstilbeが使われている)のカバーに入れましたが、実際にはバラ科のシモツケの一種と考えていたことが、ラベルに“Spiraea Aruncus 2 Var.”と記したことでわかります。しかしこの標本は、雲仙産のバラ科のヤマブキショウマでした。“M. Zunz_”とは美馬順三のことです。
さらにこの標本にはシーボルトによるメモ紙2枚が添えられていますが、一枚は葉の形態を説明した記載文の下書き、もう一枚は“Spiraea aruncus Linn. Th Flor. Jamabukisjoma, ヤマブキシャウマ”と種名を記したものでした。
さらにこの標本には資料整理紙も添えられ、和名のほかに、右側上から三番目の枡内に“A.a”など色々なアルファベットがそれぞれの枡に書き込まれています。それぞれの枡とそこに書かれている記号の意味はまだよく分かっていませんが、三番目の枡は植物の性状を表しています。この場合、大文字の“A”は草本、小文字の“a”は山地産を意味しています。その他のコラムについても目下調査中です。
美馬順三はオランダ語に秀で、シーボルトにその活躍を期待されていましたが、流行り病のコレラであっけなく亡くなり、シーボルトを嘆き悲しませました。
XVII番目の箱に収められたウスゲクロモジ〔Lindera sericea (Siebold et Zucc.) Bl. var. glabrata Bl.〕の標本(MAKS1452)には、亡くなった美馬順三を惜しんでか、彼の名を冠した「ジウンゾウクロモジBenzoin Zuns_ Sieb.」と墨筆されています。
この標本は、シーボルト自身が記した資料整理紙に直接貼付したもので、右上の第一枡に和名、第二枡に“in honorum doct. nostr. Discipul Mima Zunz_”と美馬順三の名が記されています。第三枡には“E.a”と記されています。“E”は樹木、“a”は芳香性のあるを意味します。和名の左にはシーボルトが“Benzoin Zuns_ Sieb.”と学名を記しています。さらにシーボルトが同じ学名や簡単な説明を書いたラベルも、資料整理紙の下部に貼付されています。
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