伊藤圭介伊藤圭介(1803-1901)は尾張の宮の人です。後にシーボルトをして「日本の碩学」と言わしめたほどの英才で、明治時代になって日本初の理学博士となった人物です。しかし尾張の宮で、博物同好会ともいうべき甞百社の指導者であった水谷助六、実兄の大河内存真とともに、江戸に向かうオランダのカピタン(商館長)スツルレル(J. W. de Stuler)に随行していたシーボルトにはじめて会った1826年 2月21日には、まだ23歳の若者にすぎませんでした。 この時、圭介はシーボルトに表紙、裏表紙とも濃いオレンジ色で和綴じの植物標本帖を贈りました。現在、その『伊藤圭介さく葉帖』(全14冊)はライデンの国立植物標本館の特別室に大切に保管されています ライデンの『伊藤圭介さく葉帖』は一番〜二百七十二番までのさく葉標本が貼られた7冊と四百十一番〜六百二十七番までのさく葉標本が貼られた7冊の14冊からなっていて、中間の二百七十三番〜四百十番にあたる標本は見あたりません。またところどころで、標本が切り取られて無くなってしまい欠番となっているページもあります。欠番号の標本が何であったかはこのさく葉帖をいくら見ていても分かりませんが、幸いなことに、国立国会図書館にある『伊藤圭介寄贈図書文庫』の中に伊藤圭介自筆の『シーボルト氏所贈さく葉目録』(左写真)が残されています。これはさく葉帖と同じく和綴じ本でさく葉帖より幾分小さいですが、同じ紙質、同じ色の紙が表紙として利用されています。それには一番から二百七十二番までの植物名(和名)が圭介によって墨筆されており、さらにそれぞれの和名にシーボルトが学名を書き添えています。つまり、この目録は圭介とシーボルトの合作とみなせるのです。これを調べることによって、少なくとも前半7冊については欠番の標本が何であったかを知ることができます。 牧野シーボルトコレクション中にも、この『伊藤圭介さく葉帖』と同じ形式あるいはよく似た形式の標本が27点残されていますが、朱筆の番号(漢数字)は同じであっても貼付されている種類はほとんどの場合、目録とは異なります。ただし、二百九十番のホロギク(MAKS1080)、二百九十二番のホウチャクサウ(MAKS2147)、三百十三番のカウホ子(MAKS0184)、三百五十六番のヤブカウジ(MAKS1134)、五百七十一番のヒメユリ(MAKS0527)、五百七十二番のキヒメユリ(MAKS0528)など、ライデンのさく葉帖の欠番となっている番号の標本も含まれています。 =>伊藤圭介標本索引
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