鳴滝塾


長崎近郊の鳴滝にあった元諏訪神社の宮司青木永章の別荘を、シーボルトが通詞の某の名義で購入し、長崎奉行所の特別の許可を貰って鳴滝塾を創設したのは、彼が来日した翌年の1824年3月のことでした。彼は日を定めて大勢の日本の若者に講義を行いました。受講生の中には江戸の湊長安、三河の平井海蔵、尾張の伊藤圭介、周防の岡研介、陸奥の高野長英、阿波の美馬順三、豊後の加来佐一郎などがおり、西洋の医学や博物学が急速に日本各地に浸透していきました。

第XX箱のカシワ(MAKS1713)や第XXI箱のモミ(MAKS1745)、第XI箱のチョウセンヒノキ(MAKS1852)などの標本のラベルに“Narutaki Villae”または“Hort. Narutaki”と記されており、鳴滝塾で植栽されていたものを標本にしたことがわかります。


著作権:牧野標本館、2004