桂川甫賢は将軍の侍医でした。文政九年三月七日(陽暦1826年4月13日), 津山藩の藩医であった宇田川榕庵(1798-1846)とともに江戸本国町の長崎屋に滞在していたシーボルトを訪ね、様々な事について質疑応答しています。シーボルトは桂川甫賢より多数の標本が贈られたことを記録していますが、ミツマタ(Edgeworthia papyrifera Sieb. et Zucc. MAKS1571)やミヤマキケマン(MAKS0140)などの標本が牧野シーボルトコレクション中に残されています。
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