茂伝之進邸


標本番号No.S1798のネズの標本は長崎奉行所の目付であった茂伝之進邸に植えられていたもので、2度目の来日の際の1861年1月15日に作成されたものです。

茂伝之進のことをシーボルトは彼の不朽の著である『日本』の中で次のように紹介しています:

「日本の友人のうちに茂伝之進という人がいた。1776(安永5)年にツンベリーの江戸参府旅行に同行した茂節右衛門の息子で、彼はこの有名な博物学者を今なおはっきりと覚えていた。彼は自分の庭にあるツンベリーが箱根から持ってきたネズの木をよく私に見せてくれた。当時まだ若年だった彼はこの木を植える手伝いをした。

伝之進は、父の友人であり師でもあるこのツンベリーに対し、感動的な敬愛の情をこめて、彼が同定した植物の蒐集物を家宝として保存していた。

目付−スパイという意味の彼の肩書はわれわれの耳には快く聞こえないが彼はわが商舘の役目についていた。植物学によせる彼の愛着は父から受けついだものであった。また長崎近郊の植物採集にもこの尊敬すべき人物はたびたび行をともにしてくれたし、また役目がら私に親切であった。」(1978年 中井昌夫・斎藤真訳 雄松堂(東京) 205ページ)。

この文面からわかるように、シーボルトは目付(彼はスパイと理解していた)であった伝之進と植物を通して仲がよかったのです。

貧弱な標本ですが、“標本整理紙”とでも呼ぶべきデータぺーパーと青色のメモ紙2枚が添えられています。

標本整理紙には右上第1番目の升目には子ズムロ、2番目の升目には学名Juniperus rigida S & Z がインクで、3番目の升目にはE,aとインクで、8番目の升目には杜松と墨筆され、さらに様々な記号が黒インクで記されていました。各記号意味はまだほとんど解読されていませんが、第3番目に記されているEは樹木、aは芳香性のある、の意味です。

青色のメモ紙は縦9.2cm、横16cmで中央部分に標本を挟むために長さ約8cmと5cmのスリットが切られており、シーボルト自身による標本の説明がラテン語で「ツンベリーが1825年に発表したJuniperus communis Th.,あるいは シーボルトとツッカリニが1861年に発表したJuniperus rigida S & Zの小枝の標本で、これは1776年江戸参府に出かけた折、ツンベリーが箱根で採集し、長崎の茂伝之進邸の庭に植えられていたものである」といった意味のことが記されてあります。

興味深いことは同じ日に採ったネズの標本(HERB.LUGD.BAT.No.901,133- 119)がライデンの国立植物標本館にあることです。その説明文にはドイツ語で、茂節衛門の名が記されてありました。節衛門とは伝之進の父親で、ツンベリーの江戸参府に同行した人物です。

=>茂伝之進の標本索引


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