水谷助六


自然愛好会であった尾張の甞百社の指導者水谷助六(安永8 (1779) 年 ―天保4(1833)年)は、京都の小野蘭山の指導を受けた尾張藩奥医師浅野春道に本草を学び、長崎のオランダ通詞吉雄耕牛に学んだ蘭方医野村立栄に学んだのでオランダ語も相当理解できたと考えられます。

文政9年2月21日(陽暦1826年3月29日、四年に一度、江戸参府のためにオランダカピタンのスツルレル一行57名が尾張の宮を通過しました。水谷助六はこの日、会の設立者大河内存真、その実弟の伊藤圭介らとカピタン一行中のシーボルトに会い、慌ただしい時間ではありましたが持参した標本の学名を教わっています。

また水谷助六は自らの手で描いた植物写生帖をシーボルトに贈呈しています。それは現在、ライデン大学図書館に残されていますが、それには植物の各図ごとに正確なラテン語名が記されてあってシーボルトを驚かせました。この時、シーボルトに贈られたのは2 冊の小さな画帖ですが、彼を驚かせたのは102図からなる『本草抜萃』でした。シーボルトは「102のうち、たった4つの誤りを見つけただけであった。」と『江戸参府旅行中の日記』に記しています。筆者はかつて熊本大学の山口隆男博士と一緒に出かけたライデン大学図書館でこの植物写生帖の実物を見たことがありますが、たしかにいずれも正確で明らかな間違いはほんのわずかでした(山口・加藤 2001年)。

シーボルト自身は水谷助六のことを ‘有名な植物学者Celebre botaniste ’、 ‘大経験ある植物学者ein sehr erfahrener Botaniker, mit dem ich von Dezima aus im Briefwechsel stand’、‘万有学の一大親友der grosse Freund der Naturgeschichte’(『シーボルト先生3』160ページ)と紹介しています。

水谷助六によって作成された標本はライデンの国立植物標本館のシーボルトコレクション中にも牧野標本館のシーボルトコレクション中にも多数残されています。

=>水谷助六の標本索引


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