第IV番の箱に収められていた1枚にエドヒガンの標本(MAKS0253 )には、Cedrus Fikansakura Jap./ communicavit. Bot. Japon interpus Sakusaburoと学名等が記されています。これは「ヒカンザクラ、通詞サクサブロウから得た日本の植物」の意味です。種小名にFikansakuraが使われていますが、ヒカンザクラではなくエドヒガンです。またSakusaburoとは長崎奉行所の通詞であった中山作三郎武徳(天明5年〜天保15年)のことです。彼は文化13年(1835年)、当時の商館長ヅーフ{Hendrick Doeff (1777-1835)}が通称ズーフハルマで知られる『和蘭辞書翻訳増補』を作成した時の協力者の一人であり、シーボルトの鳴滝塾開設のために力を尽くした、あるいはいわゆるシーボルト事件(1829年、文政12年)の裁判の通訳をした、などで知られています。
牧野標本館のコレクション中にはこの標本しか見当りませんが、ライデン市の国立植物標本館に所蔵されているタマシダの標本の1枚(標本番号 HERB.LUGD.BAT.No. 908,303- 50)も中山作三郎の標本です。この標本の右下に貼付されている青色のメモには filix radice tuberoso/ communicavit. Sakusaburo(塊茎filixがある/作三郎提供の標本) と記されていました。
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