東京都立大学牧野標本館は、故牧野富太郎博士(1862〜1957)の標本を中心に、約50万点(平成15年現在)の標本を所蔵しています。この数多い所蔵標本の中に、レニングラード市(現サンクト・ペテルブルグ市)のコマロフ植物研究所から交換標本として送られてきた所謂“シーボルトコレクション”があります。
このコレクションの大部分はシーボルト(Philipp Franz von Siebold, 1796-1866)が滞日した1823-1829年および1859-1862年に収集した植物標本で、シーボルトがミュンヘンで亡くなった後に、ロシア人の植物分類学者マキシモヴィッチ(Carl Johann Maximowicz, 1827-1891)が未亡人より購入したものですが、1860-1864年に滞日したマキシモヴィッチの収集品も多数混ざっています。
また、シーボルトやマキシモビッチ、シーボルトの助手であったビュルガーの採集品とともに、プラントハンターのビセットやアルブレヒトの採集品、さらにはシーボルトと交流のあった水谷助六、大河内存真、伊藤圭介、桂川甫賢、平井海蔵ら日本人の作成した標本も含まれ、植物分類学上の価値はもちろん日欧文化交流の証としての価値も大いにあるものです。
それが、1963年12月にコマロフ植物研究所のタクタジャン(Armen Takhtajan)博士より、当時の牧野標本館のキュレターであった水島正美博士(1921-1972)に送られることになり、約100年ぶりに日本に帰ってきたのです。