シーボルト作成の標本


シーボルト(Philipp Franz von Siebold、1796-1866)は監視つきではありましたが、長崎市内や郊外の各地に出かけることができたので、“Monte Inasa”(稲佐山 右写真)、“Monte Iwaja”(岩屋山)などで採集した標本が多数あります。また“Hort. Desima”や“Hort. Narutaki”と記された標本がありますが、これらは出島内や鳴滝塾の庭で栽培していた植物が花や果実をつけた時に標本にしたものです。江戸参府旅行の途中に箱根で採集したものも含まれています。さらには“Temple Honrenji ad Nagasaki”(長崎本蓮寺)と記されたイヌマキ(Podocarpus macrophylla)の標本(MAKS1832)がありますが、これは国外追放処分を受けた30年後の1859年に息子のアレキサンダーを連れて再来日した際、宿舎にしていた寺の庭に植栽されていたものを標本にしたものです。

イトスギの標本(MAKS1773)は、不朽の名著『フロラ・ヤポニカ(日本植物誌)』の117図版を描くのに利用された標本です。シーボルトは植物画を描くのに利用した採集品を、このように標本にして残したのでした。このような標本はオランダの国立植物標本館にも多数残されています。


著作権:牧野標本館、2004