熊吉1826年(文政九年)正月九日に長崎出島を出発した商館長スチュレル(Johan Willlhem de Sturler, 1776-1855)を長とする江戸参府旅行の一行53名のなかに加わったシーボルトは、この機会を資料蒐集の絶好の機会とすべく、周到な用意をおこないました。先ず信頼すべき弟子である高良斎を一行に先んじて出発させ、資料を収集させています。さらには一行の中にアシスタントのH.Bürgerの画家の川原慶賀はもちろん、採集人として熊吉、弁之助(源之助のこと)までも加えています。熊吉の肖像画はシーボルトの『にほん』に掲載されています。 源之助については東海大学の石山禎一先生(1976年)は「鳥獣剥製をさせたのではないだろうか」と記されていますが、ライデン市にあるオランダ国立自然史博物館が所蔵している膨大な動物の標本を調査されている熊本大学の山口隆男教授((1997年)によると、シーボルトの動物関係のコレクション中には源之助や熊吉の名前のついた標本はない、とのことです。 「亥x月y日」あるいは「亥A月B日 熊吉」と墨筆された小さな短冊形のタグが添えられた標本がある。それらの各標本を見ると、台紙の右下に貼付されたラベルに、記されていない場合もありますが、多くの標本の採集者名がSieboldと記されています。 このことからタグが添えられたこれらの標本はシーボルトが個人的に雇った少年熊吉が亥年つまり1827年にシーボルトに命じられて作成した標本であると考えられます。 熊吉作成と考えられる標本が牧野標本館には14点ありますが、オランダ国立植物標本館が所蔵しているシーボルトコレクション中に31点(顕花植物24点、シダ植物5点)、東京大学総合博物館に1 点あります。 =>熊吉の標本索引 |
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